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官邸崩壊 安倍政権迷走の一年

官邸崩壊 安倍政権迷走の一年


おもしかった。

2001年、同じ場所で演説をした前首相の小泉純一郎は、街宣車から降りた途端、一歩たりとも
動けなくなった。群衆が殺到して、身動きすら取れない。危険を察したSPとスタッフは慌てて
首相を車に押し込んだ。
前任者のこうした光景を見慣れた政治記者たちは、安部の不人気を案じる。記者だけではない。
自民党の職員や秘書たちも不安に苛まれる。だがそれを口に出す者はいない。なぜなら、
そうした過去の目撃者とはまったく考えを異にする人物が、つねに安部の傍らに張り付いている
からである。
この夏の参院選、演説会場での応援が終わるたびに、首席秘書官井上義行は、安部のもとに
駆け寄った。そして車に乗り込むと同時にこう囁くのであった。
総理、すごい人出です。私はこんな群集を見たことがない。総理の人気は本物です──。
移動中の電車内、飛行機の待ち時間、井上は、あらゆる場所で安部を褒め称える。
それは、あたかも義務であるかのようであった。
選挙戦中盤、安部が予測獲得議席数について漏らしたときもそうだった。40台は厳しいかなぁ、
と安部。それに対して井上が即答する。
総理、そんなことはありません。45はいけます。最悪でも40を切ることはないようです──。
もちろんそうした情報は存在しなかった。
〔……〕
果てして、選挙結果は、40議席割れの大惨敗だった。
(pp.11-13)


とか

そもそも日本政府の動きが間違っていた。仮に、米国の「ニューヨーク・タイムズ」や
ワシントン・ポスト」などの新聞に、従軍慰安婦問題についての説明をしたいという
のならば、ワシントンではなく、東京で事足りた。記事のほとんどは東京発であった。
〔……〕世耕がワシントンまで行って説明する意味は、ないに等しかった。
チーム安部は大きな間違いを犯してしまった。親日派の〔……〕マイケル・グリーンですら、
安部政権の情報不足を嘆く。
結果、安部政権は今回の事態をまったくハンドリングできなかった。外務省には
米国の政治情勢の報告が上がっていた。米政府と下院の動きは別であり、ブッシュ大統領
は気にしていないというメッセージも含まれていた。しかしそれすら使い切れていなかった。
こういう危機だからこそ、まずはグリーンなどの知日派に連絡をとっていた塩崎の助言にでも
ひとまず耳を傾けてみればよかったのだ。そうした声もあったが、安部の元には届いていない。
代わりに無策のまま、誤った信念にとらわれた人物たちが事を荒立てる。世耕が動き、
安部が反応し、そして火がついた。とりわけ、情報部門での危機管理を担うはずの、
自他ともに認める「広報のプロ」世耕の動きに、政府のスタッフは不信を募らせるのだった──。
(p.135)


とか。