柄谷『日本近代文学の起源』ひさしぶりに再読。


「大切なことはすべて〜」における三浦をみてたら
「内面の発見」を思い出したので。


三浦の空虚さというか…何考えてるかわからなさというか…凄まじい…。

日本の近代文学は、いろんな言い方はあっても、要するに「近代的自我」の深化
として語られるのがつねである。しかし、「近代的自我」がまるで頭の中に
あるかのようにいうのは滑稽である。それはある物質性によって、こうってよければ
〝制度″によってはじめて可能なのだ。
〔……〕
したがって、私は「内面」から「言文一致」運動を見るのではなく、その逆に、
「言文一致」という制度の確立に「内面の発見」をみようとしてきた。
そうでなければ、われわれは「内面」とその「表現」という、いまや
自明且つ自然にみえる形而上学をますます強化するだけであり、そのこと自体の
歴史性をみることはできない。


講談社文芸文庫版、pp.75-76)