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謎とき平清盛 (文春新書)

謎とき平清盛 (文春新書)

公家=貴族、寺家=僧侶(神官を含む)、武家=武士。彼らは王家のもとに結束して「支配層」をかたち作り、「相互補完」、お互いの弱点を補い合い、助け合いながら民衆を支配し、日本の国を運営していました。これらの権門はいずれもが政治・社会的に権勢を誇る、門閥世襲)勢力でした。彼らは共通の財政基盤として、多くの荘園を集積していました。
(p.38)

国司は次第に京都に留まり、現地に赴任しなくなりました(遥任といいます)。それをいいことに在庁官人たちは、公領をまるで自分たちの領地であるかのように管理し、また時には荘園化して京都に寄進しました。それぞれの国と土地が、荘園と、郡・郷・保からなる公領とで構成される。これを「荘園公領制」といいます。荘園と公領はこのあと長く、支配者階層の経済基盤として機能しました。それで最近は、「荘園公領制」の成立を以て、古代の終焉、中性という時代の始まり、と捉える研究者が数多くいます。
(pp.74-75)

摂関政治天皇権限を代行する。寄生しているだけである。だが、政務を執る上皇は、天皇権限を分割して保有している。すなわち上皇天皇は、並び立つ。のちに源頼朝は将軍権力を創出するが、それは上皇の権力を継承し、天皇権限を分かちもつのだ、と石井氏は説きます。ならば。源頼朝に先行する平清盛も、同じではないか。清盛も天皇権限を分かちもち、後白河上皇と対峙するのではないか。武力によるクーデターとは、そうしたものでしょう。[……]王権は、天皇武家の首長とに分裂する。武士が初めて政権を奪取したこのときをもって、私は幕府が構築される、と考えます。
(p.209)

そもそも「治承・寿永の内乱」の呼称を提唱したのは、戦後日本中世史をリードした石母田正でした。一連の戦乱を「源平の戦い」と認識することを批判し、より深刻な全国的な内乱として捉えることを提案したのです。
(p.220)